豊山 写真館

第一子の誕生を写真館で記念撮影、のつもりが夫が大反対?!

私の家族は写真館とのつながりで歴史を刻んできました。ですから、結婚しても同じだと信じてたんです。そしたら、第一子が生まれた時、夫も夫の家族も写真館なんてバカバカしいという風に一笑されたんです!腹が立ちました。こっちが笑い飛ばしたいくらいよ!それで私は強行突破、夫が仕事の時に、生まれたばかりの子どもと私と私の両親で写真館に行ったんです。「俺をのけものにした」と言われないために、両親に料金は払ってもらいました。私の両親が写真が撮りたいという理由でね。

すると主人は、出来上がったその写真をみて、お前たち馬鹿じゃないのか?と言いながら、自分の実家に持って行ったようです。私は義母に「お母さん、七五三もスナップ写真で済ませるんですか?」と聞きました。無駄に山のように撮る写真よりも、プロに一枚撮ってもらった方が価値があると思いませんか?ってね。怒るなら怒れという気持ちでした。ですが、義母は、私たちもこんな写真が撮りたいと私の両親との写真を見て言い出したんです。

そーでしょ?と心の中で思いました。夫家族は写真館に行ったことがなかったようです。未知のものには積極的になれないのは当たり前ですよね。私も言い過ぎたと反省したんです。だから「私はこの家に嫁いだんです。本当はお義母さんとお義父さん、そして彼と子どもの5人でと撮りたいんです。」と言いました。本当は三人で良いんですけど、そこは嫁ですから一応ね。すると夫の両親は上機嫌!一枚でいいというのに三枚も撮りました。

それからというもの、夫の両親は孫が5人、ひ孫が4人いますが、どこのだれが生まれても写真館に通っています。さもずっと昔からやっていたと言わんばかりにね。あの空気がピンと張り詰めている感じの写真は、いつ見ても心地よいものです。馬鹿じゃないのか?と言っていた主人も、今では写真館のご主人とも仲良くなり、自分の友人に勧めるくらいです。食わず嫌いならぬ撮らず嫌いだと私は思いました。

もしもそんな家族が多いのなら残念ですよね。それに私が好きなのは、今ごろのスタジオ的な写真屋さんよりも、昔ながらの写真館です。両方を利用した経験があるのですが、心をこめてくれるのが写真館、技術を駆使するのがスタジオ写真館というイメージです。これは私の個人的な感想なだけなんですけど、重厚な写真が撮りたい時は必ず昔ならではの写真館へ出向くと満足できると思います。

なんでもない家族の一コマを、写真館に残してもらう幸せがある

なんだか私たち夫婦は、自分たちだけのために稼いで自分たちだけのために使うという生活でした。もちろんすべて自分たちのためなんですけど、家族や仲間が集まった時に、なんでもない時間を写真の一コマにしてもらうことってすごく貴重ですよね。ちょっとでも損するのはイヤだという考え方はお金に使い方がわかってなかったんだということに気がついたんです。

写真ぐらい自分たちで撮れるから、わざわざ専門家なんて呼びたくない。と言いながら、自分たちで良い写真が撮れるようにと何百枚も撮ってみる時間と労力は、結局その「時」を無駄にしてるようで、もったいない気持ちになって来たんですよね。そこで一度、家族の集まりがあるときに、写真館に出張してくれるように依頼しました。最初は、みんな「何?」「誰?」という戸惑いがあったようですが、慣れると空気のようになるんですね。そこがプロだな~と感心しました。

そうやって撮ってもらったなんでもないような家族の一コマは、とても自然で、身内が撮るような「こっち向いて~!」なんてのはありません。本当に自然に、いつもの風景を切り取ってくれるんです。もちろん集合写真はこっち向いてー的なことになりますけど、出来上がった何気ない一枚一枚は、今にもしゃべりだしそうな空気感まで写ってます。いとこ同士がけんかを始めたり、仲直りしたり、本当に自然で、こんなことならもっと早く頼めばよかったという人たちばかりでした。

親戚のおばさんに「あなたカメラは!」なんて怒られるおじさんの姿も見なくて済むし、素人が写真を撮る緊張感や成功の図として「はいポーズ」なんて言葉が出たりもしますが、そんなの一切ありません。込み入った思春期同士の会話中も「○○くんカメラは~?!」と中断されることもありません。それに、必要な人が購入すればいいわけで、不要な人はお金もかからないんですよね。それもそのはず、デジタル処理をしてくれるので、画像を見ながら、これは要らない、これは要るとこちらで好きにチョイスできるんです。

その便利さを知ったら、もうもったいないなんて言ってられませんよ。その自然な感じを良いと思った親戚の一人が、自分の結婚式にやはり写真館さんを呼んでいました。都会のイベントハウスで行われた結婚式には、生のジャズ奏者のグループと結婚式専用のスタッフの方たち、シェフやカフェ専門の人の中に写真館の人。集合写真だけではなく、その日一日のすべてをビデオではなく、写真に収めることを選んでいました。

その中に、わたしの小さな息子がタキシードを着てトイレの帰りにジャズバンドさんの前に立って指揮の真似ごとをしている姿が写っていて感激しました。ジャズバンドさんたちは息子を見ながらニコニコ演奏をしてくれてます。四拍子しか知らなかった息子を見るのはつらかったんじゃないかと素人的には思いますが、その一枚の写真だけで、とてもいろんな想像が広がって、今でも見るたびワクワクします。

当初はジャズバンドの皆さんに感謝してましたが、よくよく考えると、写真館さんじゃん!て事に気がついたり、みんなが幼い子どもを見守ってくれているんだなと思えたり、写真館にお願いする写真は、なんでもない家族の一コマから、大きなイベントまで、大小にかかわらず丁寧な仕事をして下さるんだと感動させられます。だからこれからも、私たち家族のために写真館さんを利用させてもらうんです。デジカメが普及しすぎて、写真館が減ることがとても辛いことです。みなさん頼みますよ~。と言いたいです。

年に一度、学校での集合写真はいつもの写真館さん

自分たちは中学生の頃の同級会を毎年卒業た中学校でするようにしています。そこにはいつもの写真館さんも来てもらうようにしてるんです。それは、写真を撮るかかりになってしまったら、その人があまり写ってないことになるしフェアじゃないってことになって、学校の写真館さんが近所なのに、同級会の時も来てもらうようにしたんですよ。そしたら料金もフェアでしょ?最初はお金がかかる!とか、贅沢だ!なんて声もあったんですけど、そんな奴に限って自分では撮ろうとしないんですよ。

とまあ、そんな話もぶっちゃけてしながら反対派を説得して結局、写真館に来てもらっての同級会がコミコミで恒例行事になったんですけどね。今となっては、必ず写真が残るし、誰かが撮ってくれてるのか?自分が撮らなきゃならない感じか?等々思案せずに済み、純粋に友人たちのとの再会を喜べる同級会になっています。写真館さんは、幹事の名前と学級委員長を覚えて下さっていて、「委員長!委員長!」と用事があれば呼んでいます。

それが僕たちは面白くて、つられてみんなも委員長!って呼ぶんですよね。ある日息子に代が変わるという時に連れてきた息子さんが自分たちの後輩だったんです。それでも4~5年はおじさんも一緒に同級会の写真撮影に来て下さって、委員長!幹事さん!を息子に伝授して、今では息子が委員長!と呼びます。その息子もクラスメイトのように一緒に楽しんでます。だけど決して一緒に飲まないのが、さすがおじさんの息子です。

プロなんですよ。どっかで修業してたみたいなんですけど、おじさんも「気がつけば息子の方が腕がいい」なんて自虐ネタも披露しながら、上手に息子に引き継いでいかれました。時間があるときは今でもたまに一緒に来てくれるのがうれしいです。息子さんももうすっかり「いつもの写真屋さん」になって同級会のたびに顔を合わせますが、なにせ若いので、クラスメイトだったかな?と思ってしまうくらいなんです。

今ごろはデジカメがあるし、自分で加工もできるから写真館に撮影を依頼するのは少し贅沢な気もするのですが、自分たちで撮影するのとはやはり全く違います。みんな同じ立場なんですから、写真は専門の人に入ってもらう方が誰もが安心で、特別感があるんです。だらしがなかったクラスメイトも、同級会で恥ずかしい思いをしたくないという理由で就職したり、まっとうな生活をし始めたよ。なんていう声を聞くと嬉しいですね。

関係ないようで写真館さんが入る僕たちの学校の同級会は、少しピリリとしていて、品があると自負してるんです。だらしない飲み会は個人的にすれば良いと思ってるし、そんな会もとても楽しいですよね、だけど、そうではない時は、特に同級会などは、もう家族がいるメンバーもいるのですから、チャンとしか会にするためにも写真館さんの存在は大きいと思います。

結婚に反対されてた私たちが、写真館で家族がひとつになれました

私たち夫婦は、私の両親に結婚を反対されていました。それでも押し切って結婚したんです。地元を離れていた兄に結婚の報告をすると、自分は海外出張中だから行けないけどごめんね~。という軽い返事が返ってきました。両親も式に出ないという、兄も出席しないとなると、私の親族は誰もいないことになります。その事を兄に告げると「あいつたちは何やってんだ!」と両親のことを怒り出し、なんとか式の当日に間に合うように帰国してくれたんです。

1月の寒い日でした。あまりお金の掛けられなかった私たち夫婦は、前撮りができず、お式当日の朝に写真を撮る予定だったんです。そこに両親が来ないことを知った兄が、実家へすごいけんまくで帰宅し、コタツに入って動く気のない両親を怒鳴ったりなだめたりしてくれたようで、渋々という顔をした両親を写真館まで押し出したんです。それでやっと私たち夫婦と両家の両親との写真が撮れました。

そこの写真館の人が、私の両親が快く思っていないことを察知したようで、「いろんな事がありますよね」と声をかけてくれ、私はその一言で我慢の糸が切れたんです。綺麗に化粧もしてもらって、ウェディングドレスを着ていたのですが、ワーワー泣きました。私が結婚したのは29歳です。もう良い年なのに、写真館さんの前でおお泣きしたんです。夫の両親も私の両親もどうしていいのかわからない様子だったと思います。

写真館さんは私が泣きやむのを待ってくれ、涙が出切ったころに「私はたくさんの人の顔を見てきました。お嬢さんと彼はとてもまっすぐな目をされてますね。きっとみんなが祝福してくれますよ。いいお二人ですね。」と撮影準備をしながら言ってくれたんです。私はまた涙が出てきました。するともう半年ほど口をきいてなかった母が、背中が開いたドレスの背中をさすりながら、寒くないの?と声をかけてきました。

その一言に夫の両親も安心したように、風邪引くといけないから早く撮ってもらおうね。と声をかけてくれました。息子を拒否されたような私の両親の態度だったのに、夫の両親は変わらず優しくしてくれたことに申し訳なくなり「ごめんなさい」と声をかけました。夫の両親は、私のごめんなさいの意味がわかったのかわからなかったのか、一瞬無言だったんです。

すると写真屋さんが「お嬢さんは彼のご両親に申し訳ないと思ったんですね」とまた一言。それで私の両親がはじめて、結婚を反対していた彼も、誰かのわが子なんだと気がついたようで、夫の両親に失礼なことをしていたと思ったんでしょう、遅すぎるんですけどそこでお詫び合戦がはじまりました。夫の両親は何もわびることはないのですが、「こんな息子ですが」という気持ちを表していました。

母の目は涙でいっぱいでした。数年間の親子の確執を写真館のほんの1時間程度で溶かしてくれたんです。本当にたくさんの人を見て来たんだろうなという1時間の出来事でした。外で待っててくれた兄は、和気あいあいと出てくる両家に驚いて、夫に「この変わりようは何だ?」と声をかけていました。夫のと結婚に反対し、白無垢は着なくていいと母親に言われた私でしたが、後日、その写真館さんで白無垢の写真も撮ることができて、家族を一つにしてくれた写真館に今でも感謝しています。

ホスピスにまで出向いてくれた写真館さん、仕事を超えたお付合い

私たち家族がこちらに引越してきてから、ずっとひとつの写真館で家族写真を撮っていました。写真館のご主人から、娘さんに代替わりをする時も私たち家族は見てきました。父が60歳になったころ、バブルがはじけ、写真館に行けなくなったこともありましたね。自営業だった父の会社は大打撃だったようです。私たち家族にはそのようなことはおくびにも出さない父でしたが、写真館に行けない状況なんだという事だけはわかったんです。

私は写真館の帰りに家族四人でうなぎをいつものお店に食べに行くのが楽しみでた。それは、写真館の方に大切にされている感じを受け取り、うなぎ屋さんでまたその延長のような空気を味わうのが好きだったんです。私が大学生になっても子ども扱いしてくれるというか、写真館とうなぎ屋さんでは幼いままでいられるという気持ちです。自分を丸々受け入れてくれる場所だったのかな?

だけどバブルがはじけてどちらにも行けなくなりました。それから20年、父は80歳になり、数年前に現役を退きましたが、ゴルフや山での野菜作りに楽しげな晩年を過ごしていましたね。でも写真館には行かずじまいだったんですよね。ちょっとさみしい気もしたんですけど、バブルのころのことを掘り返すようで「写真館に行こうよ」とは誰も言いませんでした。そんな父が最後は肺がんに侵されていました。

へヴィースモーカーだった父です。私が高校生の頃は、学校が街中にあったということもあり、いつも百貨店内の専門店に葉巻やパイプの中に入れる煙草の葉を買いに行かされてました。もう店員さんともお馴染で、今日はどちらですか?と制服姿の私を見ると声をかけてくれるくらいだったんですよね。あのころ、フィルターも通さない煙草はやめてよと言える知識があればよかったのかなと考えたりもします。

そういえば母はいつも、たばこをやめるようにうるさく言ってたなあと今ごろ思いだしたりしてね。そして父の最期はホスピスで自由に過ごせました。でも外出はできなくなったころ、仕事で地元を離れていた兄が、写真館呼べないの?と言い出し、私と母は出張なんてあるの?と疑問。恐る恐る家族で毎年行っていた写真館に出向いてみました。写真館のオーナーは私たち家族を覚えていて下さり、しばらく懐かしい話に花が咲いたんです。

そして、父が入院しているホスピスにまで写真を撮りに来て下さいました。兄が思春期で荒れていた時の話や、私たち兄弟の成人式の話、母が娘の私より綺麗だったという話等々、父の病室で当時は言えなかったという話をたくさんしてくれて、まるで親戚が集まっているような華やいだ病室になってたんですよ。それが父との最後の写真になりましたが、ホスピスでのどんなひと時よりも楽しい思い出になっています。

残された私たち家族は、写真館さんにきっと迷惑…、と思いながらも、父の遺骨とともに写真を撮ってもらいたいと申し出ました。そんな無理なお願いにも気持ちよく応えてくれて、写真館に遺骨を持ち込むことも快く引き受けてくれたんです。兄と私にはそれぞれ家族ができましたが、父の遺骨と母と兄と私で撮った最後の写真です。

写真館を出るときに母が、これからは新しい家族と写真館さんとのお付き合いになるわね。といい、家族の節目を写真館に作ってもらった気持ちでした。けじめのついた私たち家族は、それぞれの道で充実した生活を送っています。父との最期の撮影の帰り道、写真館になった人の寿命だけ永遠というシステムがあればいいのにね。と母と笑って話しました。覚えてくれていた写真館のおじさんは、かなりのおじいちゃんになってましたから。