豊山 写真館

第一子の誕生を写真館で記念撮影、のつもりが夫が大反対?!

私の家族は写真館とのつながりで歴史を刻んできました。ですから、結婚しても同じだと信じてたんです。そしたら、第一子が生まれた時、夫も夫の家族も写真館なんてバカバカしいという風に一笑されたんです!腹が立ちました。こっちが笑い飛ばしたいくらいよ!それで私は強行突破、夫が仕事の時に、生まれたばかりの子どもと私と私の両親で写真館に行ったんです。「俺をのけものにした」と言われないために、両親に料金は払ってもらいました。私の両親が写真が撮りたいという理由でね。

すると主人は、出来上がったその写真をみて、お前たち馬鹿じゃないのか?と言いながら、自分の実家に持って行ったようです。私は義母に「お母さん、七五三もスナップ写真で済ませるんですか?」と聞きました。無駄に山のように撮る写真よりも、プロに一枚撮ってもらった方が価値があると思いませんか?ってね。怒るなら怒れという気持ちでした。ですが、義母は、私たちもこんな写真が撮りたいと私の両親との写真を見て言い出したんです。

そーでしょ?と心の中で思いました。夫家族は写真館に行ったことがなかったようです。未知のものには積極的になれないのは当たり前ですよね。私も言い過ぎたと反省したんです。だから「私はこの家に嫁いだんです。本当はお義母さんとお義父さん、そして彼と子どもの5人でと撮りたいんです。」と言いました。本当は三人で良いんですけど、そこは嫁ですから一応ね。すると夫の両親は上機嫌!一枚でいいというのに三枚も撮りました。

それからというもの、夫の両親は孫が5人、ひ孫が4人いますが、どこのだれが生まれても写真館に通っています。さもずっと昔からやっていたと言わんばかりにね。あの空気がピンと張り詰めている感じの写真は、いつ見ても心地よいものです。馬鹿じゃないのか?と言っていた主人も、今では写真館のご主人とも仲良くなり、自分の友人に勧めるくらいです。食わず嫌いならぬ撮らず嫌いだと私は思いました。

もしもそんな家族が多いのなら残念ですよね。それに私が好きなのは、今ごろのスタジオ的な写真屋さんよりも、昔ながらの写真館です。両方を利用した経験があるのですが、心をこめてくれるのが写真館、技術を駆使するのがスタジオ写真館というイメージです。これは私の個人的な感想なだけなんですけど、重厚な写真が撮りたい時は必ず昔ならではの写真館へ出向くと満足できると思います。

それから第二子、第三子と続きました。もう三人目になるとさすがに着物は着るのが大変で洋服になりましたが、家族の節目を映し出してくれる写真館さんは服装に関係なく整理された雰囲気の写真を撮ってくれます。三人の子どもたちも家族を連れて写真館で歴史を刻んでくれると嬉しいなと思いますね。

なんでもない家族の一コマを、写真館に残してもらう幸せがある

なんだか私たち夫婦は、自分たちだけのために稼いで自分たちだけのために使うという生活でした。もちろんすべて自分たちのためなんですけど、家族や仲間が集まった時に、なんでもない時間を写真の一コマにしてもらうことってすごく貴重ですよね。ちょっとでも損するのはイヤだという考え方はお金に使い方がわかってなかったんだということに気がついたんです。

写真ぐらい自分たちで撮れるから、わざわざ専門家なんて呼びたくない。と言いながら、自分たちで良い写真が撮れるようにと何百枚も撮ってみる時間と労力は、結局その「時」を無駄にしてるようで、もったいない気持ちになって来たんですよね。そこで一度、家族の集まりがあるときに、写真館に出張してくれるように依頼しました。最初は、みんな「何?」「誰?」という戸惑いがあったようですが、慣れると空気のようになるんですね。そこがプロだな~と感心しました。

そうやって撮ってもらったなんでもないような家族の一コマは、とても自然で、身内が撮るような「こっち向いて~!」なんてのはありません。本当に自然に、いつもの風景を切り取ってくれるんです。もちろん集合写真はこっち向いてー的なことになりますけど、出来上がった何気ない一枚一枚は、今にもしゃべりだしそうな空気感まで写ってます。いとこ同士がけんかを始めたり、仲直りしたり、本当に自然で、こんなことならもっと早く頼めばよかったという人たちばかりでした。

親戚のおばさんに「あなたカメラは!」なんて怒られるおじさんの姿も見なくて済むし、素人が写真を撮る緊張感や成功の図として「はいポーズ」なんて言葉が出たりもしますが、そんなの一切ありません。込み入った思春期同士の会話中も「○○くんカメラは~?!」と中断されることもありません。それに、必要な人が購入すればいいわけで、不要な人はお金もかからないんですよね。それもそのはず、デジタル処理をしてくれるので、画像を見ながら、これは要らない、これは要るとこちらで好きにチョイスできるんです。

その便利さを知ったら、もうもったいないなんて言ってられませんよ。その自然な感じを良いと思った親戚の一人が、自分の結婚式にやはり写真館さんを呼んでいました。都会のイベントハウスで行われた結婚式には、生のジャズ奏者のグループと結婚式専用のスタッフの方たち、シェフやカフェ専門の人の中に写真館の人。集合写真だけではなく、その日一日のすべてをビデオではなく、写真に収めることを選んでいました。

その中に、わたしの小さな息子がタキシードを着てトイレの帰りにジャズバンドさんの前に立って指揮の真似ごとをしている姿が写っていて感激しました。ジャズバンドさんたちは息子を見ながらニコニコ演奏をしてくれてます。四拍子しか知らなかった息子を見るのはつらかったんじゃないかと素人的には思いますが、その一枚の写真だけで、とてもいろんな想像が広がって、今でも見るたびワクワクします。

当初はジャズバンドの皆さんに感謝してましたが、よくよく考えると、写真館さんじゃん!て事に気がついたり、みんなが幼い子どもを見守ってくれているんだなと思えたり、写真館にお願いする写真は、なんでもない家族の一コマから、大きなイベントまで、大小にかかわらず丁寧な仕事をして下さるんだと感動させられます。だからこれからも、私たち家族のために写真館さんを利用させてもらうんです。デジカメが普及しすぎて、写真館が減ることがとても辛いことです。みなさん頼みますよ~。と言いたいです。

年に一度、学校での集合写真はいつもの写真館さん

自分たちは中学生の頃の同級会を毎年卒業た中学校でするようにしています。そこにはいつもの写真館さんも来てもらうようにしてるんです。それは、写真を撮るかかりになってしまったら、その人があまり写ってないことになるしフェアじゃないってことになって、学校の写真館さんが近所なのに、同級会の時も来てもらうようにしたんですよ。そしたら料金もフェアでしょ?最初はお金がかかる!とか、贅沢だ!なんて声もあったんですけど、そんな奴に限って自分では撮ろうとしないんですよ。

とまあ、そんな話もぶっちゃけてしながら反対派を説得して結局、写真館に来てもらっての同級会がコミコミで恒例行事になったんですけどね。今となっては、必ず写真が残るし、誰かが撮ってくれてるのか?自分が撮らなきゃならない感じか?等々思案せずに済み、純粋に友人たちのとの再会を喜べる同級会になっています。写真館さんは、幹事の名前と学級委員長を覚えて下さっていて、「委員長!委員長!」と用事があれば呼んでいます。

それが僕たちは面白くて、つられてみんなも委員長!って呼ぶんですよね。ある日息子に代が変わるという時に連れてきた息子さんが自分たちの後輩だったんです。それでも4~5年はおじさんも一緒に同級会の写真撮影に来て下さって、委員長!幹事さん!を息子に伝授して、今では息子が委員長!と呼びます。その息子もクラスメイトのように一緒に楽しんでます。だけど決して一緒に飲まないのが、さすがおじさんの息子です。

プロなんですよ。どっかで修業してたみたいなんですけど、おじさんも「気がつけば息子の方が腕がいい」なんて自虐ネタも披露しながら、上手に息子に引き継いでいかれました。時間があるときは今でもたまに一緒に来てくれるのがうれしいです。息子さんももうすっかり「いつもの写真屋さん」になって同級会のたびに顔を合わせますが、なにせ若いので、クラスメイトだったかな?と思ってしまうくらいなんです。

今ごろはデジカメがあるし、自分で加工もできるから写真館に撮影を依頼するのは少し贅沢な気もするのですが、自分たちで撮影するのとはやはり全く違います。みんな同じ立場なんですから、写真は専門の人に入ってもらう方が誰もが安心で、特別感があるんです。だらしがなかったクラスメイトも、同級会で恥ずかしい思いをしたくないという理由で就職したり、まっとうな生活をし始めたよ。なんていう声を聞くと嬉しいですね。

関係ないようで写真館さんが入る僕たちの学校の同級会は、少しピリリとしていて、品があると自負してるんです。だらしない飲み会は個人的にすれば良いと思ってるし、そんな会もとても楽しいですよね、だけど、そうではない時は、特に同級会などは、もう家族がいるメンバーもいるのですから、チャンとしか会にするためにも写真館さんの存在は大きいと思います。

結婚に反対されてた私たちが、写真館で家族がひとつになれました

私たち夫婦は、私の両親に結婚を反対されていました。それでも押し切って結婚したんです。地元を離れていた兄に結婚の報告をすると、自分は海外出張中だから行けないけどごめんね~。という軽い返事が返ってきました。両親も式に出ないという、兄も出席しないとなると、私の親族は誰もいないことになります。その事を兄に告げると「あいつたちは何やってんだ!」と両親のことを怒り出し、なんとか式の当日に間に合うように帰国してくれたんです。

1月の寒い日でした。あまりお金の掛けられなかった私たち夫婦は、前撮りができず、お式当日の朝に写真を撮る予定だったんです。そこに両親が来ないことを知った兄が、実家へすごいけんまくで帰宅し、コタツに入って動く気のない両親を怒鳴ったりなだめたりしてくれたようで、渋々という顔をした両親を写真館まで押し出したんです。それでやっと私たち夫婦と両家の両親との写真が撮れました。

そこの写真館の人が、私の両親が快く思っていないことを察知したようで、「いろんな事がありますよね」と声をかけてくれ、私はその一言で我慢の糸が切れたんです。綺麗に化粧もしてもらって、ウェディングドレスを着ていたのですが、ワーワー泣きました。私が結婚したのは29歳です。もう良い年なのに、写真館さんの前でおお泣きしたんです。夫の両親も私の両親もどうしていいのかわからない様子だったと思います。

写真館さんは私が泣きやむのを待ってくれ、涙が出切ったころに「私はたくさんの人の顔を見てきました。お嬢さんと彼はとてもまっすぐな目をされてますね。きっとみんなが祝福してくれますよ。いいお二人ですね。」と撮影準備をしながら言ってくれたんです。私はまた涙が出てきました。するともう半年ほど口をきいてなかった母が、背中が開いたドレスの背中をさすりながら、寒くないの?と声をかけてきました。

その一言に夫の両親も安心したように、風邪引くといけないから早く撮ってもらおうね。と声をかけてくれました。息子を拒否されたような私の両親の態度だったのに、夫の両親は変わらず優しくしてくれたことに申し訳なくなり「ごめんなさい」と声をかけました。夫の両親は、私のごめんなさいの意味がわかったのかわからなかったのか、一瞬無言だったんです。

すると写真屋さんが「お嬢さんは彼のご両親に申し訳ないと思ったんですね」とまた一言。それで私の両親がはじめて、結婚を反対していた彼も、誰かのわが子なんだと気がついたようで、夫の両親に失礼なことをしていたと思ったんでしょう、遅すぎるんですけどそこでお詫び合戦がはじまりました。夫の両親は何もわびることはないのですが、「こんな息子ですが」という気持ちを表していました。

母の目は涙でいっぱいでした。数年間の親子の確執を写真館のほんの1時間程度で溶かしてくれたんです。本当にたくさんの人を見て来たんだろうなという1時間の出来事でした。外で待っててくれた兄は、和気あいあいと出てくる両家に驚いて、夫に「この変わりようは何だ?」と声をかけていました。夫のと結婚に反対し、白無垢は着なくていいと母親に言われた私でしたが、後日、その写真館さんで白無垢の写真も撮ることができて、家族を一つにしてくれた写真館に今でも感謝しています。

ホスピスにまで出向いてくれた写真館さん、仕事を超えたお付合い

私たち家族がこちらに引越してきてから、ずっとひとつの写真館で家族写真を撮っていました。写真館のご主人から、娘さんに代替わりをする時も私たち家族は見てきました。父が60歳になったころ、バブルがはじけ、写真館に行けなくなったこともありましたね。自営業だった父の会社は大打撃だったようです。私たち家族にはそのようなことはおくびにも出さない父でしたが、写真館に行けない状況なんだという事だけはわかったんです。

私は写真館の帰りに家族四人でうなぎをいつものお店に食べに行くのが楽しみでた。それは、写真館の方に大切にされている感じを受け取り、うなぎ屋さんでまたその延長のような空気を味わうのが好きだったんです。私が大学生になっても子ども扱いしてくれるというか、写真館とうなぎ屋さんでは幼いままでいられるという気持ちです。自分を丸々受け入れてくれる場所だったのかな?

だけどバブルがはじけてどちらにも行けなくなりました。それから20年、父は80歳になり、数年前に現役を退きましたが、ゴルフや山での野菜作りに楽しげな晩年を過ごしていましたね。でも写真館には行かずじまいだったんですよね。ちょっとさみしい気もしたんですけど、バブルのころのことを掘り返すようで「写真館に行こうよ」とは誰も言いませんでした。そんな父が最後は肺がんに侵されていました。

へヴィースモーカーだった父です。私が高校生の頃は、学校が街中にあったということもあり、いつも百貨店内の専門店に葉巻やパイプの中に入れる煙草の葉を買いに行かされてました。もう店員さんともお馴染で、今日はどちらですか?と制服姿の私を見ると声をかけてくれるくらいだったんですよね。あのころ、フィルターも通さない煙草はやめてよと言える知識があればよかったのかなと考えたりもします。

そういえば母はいつも、たばこをやめるようにうるさく言ってたなあと今ごろ思いだしたりしてね。そして父の最期はホスピスで自由に過ごせました。でも外出はできなくなったころ、仕事で地元を離れていた兄が、写真館呼べないの?と言い出し、私と母は出張なんてあるの?と疑問。恐る恐る家族で毎年行っていた写真館に出向いてみました。写真館のオーナーは私たち家族を覚えていて下さり、しばらく懐かしい話に花が咲いたんです。

そして、父が入院しているホスピスにまで写真を撮りに来て下さいました。兄が思春期で荒れていた時の話や、私たち兄弟の成人式の話、母が娘の私より綺麗だったという話等々、父の病室で当時は言えなかったという話をたくさんしてくれて、まるで親戚が集まっているような華やいだ病室になってたんですよ。それが父との最後の写真になりましたが、ホスピスでのどんなひと時よりも楽しい思い出になっています。

残された私たち家族は、写真館さんにきっと迷惑…、と思いながらも、父の遺骨とともに写真を撮ってもらいたいと申し出ました。そんな無理なお願いにも気持ちよく応えてくれて、写真館に遺骨を持ち込むことも快く引き受けてくれたんです。兄と私にはそれぞれ家族ができましたが、父の遺骨と母と兄と私で撮った最後の写真です。

写真館を出るときに母が、これからは新しい家族と写真館さんとのお付き合いになるわね。といい、家族の節目を写真館に作ってもらった気持ちでした。けじめのついた私たち家族は、それぞれの道で充実した生活を送っています。父との最期の撮影の帰り道、写真館になった人の寿命だけ永遠というシステムがあればいいのにね。と母と笑って話しました。覚えてくれていた写真館のおじさんは、かなりのおじいちゃんになってましたから。

さすがプロは違う!たかが集合写真、されど最後は笑顔の集合写真

高校で仕事をしているので、毎年、年度初めは教職員の集合写真撮影があります。4年前に転勤になった学校でも当然写真撮影があるのですが、その学校は進学校で先生方も堅い人たちばかりです。厳しい校風に先生方も呑まれている感じです。正直言えば、中堅の進学校がトップクラスの進学校を目指しているという感じです。だから呑まれるんだと思うのですが、そこにやって来た写真館のおじさんがプロフェッショナルだったんですよ。

みんな固い顔で並んでいる所に、写真館のおじさんが「ごめんね~、みなさんお忙しいのにごめんなさいね~」と言いながら、スタッフに「上、右から○番目、襟」と小声で指示を出し、襟を触られた先生に「ごめんなさいね~、男前は男前に写らなきゃだめだからね~、ありがとうございます~」と言いながら、気になるところをどんどん直していきます。姿勢や笑顔がいい先生には、その良さをほめます。教師といえどもほめられると嬉しいもので、だんだん機嫌が良くなっていくんです。

学校にいるから学校にいる人らしい顔をしていた先生たちが、写真館の人に本来の人間らしい部分を引き出されていくという感じです。最終的にはみんな笑顔で、とてもいい写真になるんですよ。これぞプロフェッショナルという感じでした。それから毎年、その写真館さんが来ると、やっぱりこの人すごいと思います。集合写真を撮り終わって職員室に戻るときは、みんな明るくなっています。一度の写真で100人近い人の気持ちを明るくするってすごいですよね!

家族の写真をあの写真館に頼んでいるという先生の話を何人かから聞きました。それで写真館に写真を撮ってもらうことが初めてという先生もいて、改めて餅は餅屋だなって思いましたね。その写真館さんは学校の写真に関するすべてを任されるようになったようで、全校生徒の写真も場合によっては航空写真とのコラボのような形でやっていましたね。プロはどこまでも顧客の要望にこたえようと追求するし、プロから見た意見もきちんと表現しているようで、学校からも個人からも信頼されています。

当たり前だと思っていた記念日には「写真館」

幼少のころから記念日に写真館に行くのが我が家の習わしでした。それがごく当たり前のことだったんです。その写真を親戚が集がまった時や、棚の掃除をした時などに開き、母親がこの頃は文句も言わずにかわいかったのにね~、とか、この頃が一番肥ってたわね等々の話をするのがもう一つの恒例行事という感じで、私は写真館の写真だけが茶色の重みのある表紙で、それを開くと白い薄紙があり、それを静かにめくると家族が現れる。その静かな空気がとても好きでした。

ところが、結婚して子どもができた時、私が「妊娠してる時から家族写真を撮ろうよ」と夫に持ちかけると、「はあ~?」と驚きとあきれた表情。写真館で写真を撮るなんてありえないと言われたんです。私は衝撃でした。当たり前だと思ってた家族の行事を完全に否定された気分でした。それから子どもができてからも家族写真を写真館で撮る価値や意味を話してみましたが、全く取り合ってくれませんでした。

私は両親の反対を押し切って彼と結婚をしていました。家族写真が写真館で撮れない愚痴を母親にこぼしていると「環境が違うというのはそういうことじゃないの?」と言われて、母が何が言いたいのかがわかりました。だけど、私の価値観を覆してくれ続ける大切な夫です。写真館のことはあきらめました。そういうお家に嫁いだんだと言い聞かせることにしましたし、それを夫にも伝えました。

赤裸々にすると、そういう家庭に育った私に憧れをもち、私を選んだ夫のようでしたが、それを自分の家庭に持ち込むのは嫌だったということです。そのとき、それを押し通すことはしない私に、夫の支配欲は満足したようでした。この場所で私に何を学べということだったのかと考えました。少し哲学的な感じですが、そう考えることで私は自分に折り合いをつけたんだと思います。

それから18年、子どもたちも大きくなり、生活も楽になって写真館の前を通るといろんな家族写真が飾ってあります。夫は「こんなところに家族の写真を飾られて恥ずかしくないのか!」と馬鹿にしたようにつぶやいていました。それは写真館で家族写真を撮るという心の豊かさに対する嫉妬のようでした。私はそんな夫に「あなたは写真館で写真を撮る人たちが嫌いなのよね」と静かに答えました。

その帰り道、夫は「うちも写真館で家族の歴史を残しとけばよかったかもしれないな」と言ってくれました。18年もかかった…。という気持ちでいっぱいになりました。自分の生活を自分たちだけで必死に守る生活をしてきた夫の家族に想いを馳せました。私の実家は裕福だったことにも結婚してから気がつき、別の生き方をしてきた人もいることを結婚して初めて理解した自分の世界の狭さも実感し、当たり前だと思っていた「写真館」との関係は決して当たり前ではないことも理解できました。

「写真館」が生活のそばにある家庭は「幸せ」がそばにあるのと一緒です。お金持ちじゃなくても心が豊かなら幸せなんですよね。私の結婚と写真館を通して、いろんなことが学べました。我が家は、子どもたちが大学生へと旅立つころから写真館での記念写真を撮ることになりました。いろんな事がありましたが、私は今が一番幸せです。

年に一度、子どもたちだけの集合写真を写真館で撮っていました

家族ぐるみの付き合いのあった友人同士、毎年夏には海外組みを含めた5家族でキャンプやウェイクボード、釣りやバーベキューなどを楽しんでいました。どの家族の子どもも、まだ大きくて小学生の低学年くらいで、毎年バタバタの夏休みだったんですよ。そんな毎年を過ごしていたのですが、5家族の一番下の子どもが小学校3年生になったころ、写真館で子どもたちだけの写真を撮ろうと誰かが言い出し、子どもだけの写真をそれから毎年撮ることになりました。

背の高さで順番に並んだり、ばらばらに集まった集合写真だったり、そのメンバーは、いろんな国と日本人とのハーフが3人、日本人が3人の合計6人だったのですが、日本語がおぼつかないハーフ一人と、日本語ぺらぺらのハーフ二人、日本語さえもあやしい日本人一人、英語を日本で習っている日本人二人。そして全員男の子。それらを「写真館」に集合させるのも一苦労、カメラに収めるのも一苦労、それぞれに意思表示がはっきりしているので、毎年続けることはできませんでした。

だけど、誰が機嫌を損ねて写真館に来てないかということもいい思い出になることに気がついたんです。写真館の人も、ポーズを撮らせてサマになるハーフと全然サマにならない日本人の入り混じりのチームに悪戦苦闘しているように見えました。それを遠目に眺めながらニヤニヤする母親たち。そしてその写真館に行くと、前回はこうでしたね。と写真館さんがデジタルで見せてくれます。それを私たちはワイワイいいながら眺めるんです。

昔と違って、デジタルのデータで写真が残ってるんですよね。驚きました。子どもたちの成長をそこで見直すというか、誰が一番かっこいいとか、この感じで行くと、一番誰の背が伸びるとか、彼女ができたとか将来はどんな夢を持ってるんだなんて母親が息子の話をそこでするんですよ。それを聞いてしまった息子が怒って写真に入らなかったりと、いろんな事がありました。私たちの子どもの頃の写真館と違って、今ごろは待合室が広くてワイワイ騒げる感じです。

他のお客さんの小さい子どもがいれば、うちの子たちもあんな時代があったよね~と、よそのお子さんと触れ合ったり、以前とは少し違う写真館の思い出ができるようになりました。写真館は家族でやっていると思っていましたが、今では会社という感じで、スタッフが対応してくれるというところもありますよね。家族写真は家族がやっている写真館で撮りたいと思いますが、友人同士のグループ写真は、スタッフさんが動いてくれるドライな感じも良いなと思いましたね。

特に思春期の男子たちには、誰が抜けてもサラッと受け入れてくれる感じが良かったみたいです。翌年になると、前年腹を立てて抜けた子もやはり集まってくれます。最終的には一番上のハーフの子が大学進学を期に帰国できなくなってきて今は一応お休み中ですけど、それぞれの進路がいい刺激になっているようで、高校もスポーツも「あいつがそこなら俺はこっち」ということもあるし、偶然かもしれませんけど、最初に大学に入った子が医学部に入ったからか、その後4人までは医学系に進んだんですよ。薬学とか、心理とかね。

残りの二人はまだ高校生でテニスとバスケしかしていないようですけど、写真館さんが出張してくれるなら、それぞれの運動をしている姿を撮ってもらおうかと、また母親の勝手な考えて思っています。またこれも本人たちには嫌がられるでしょうけどね。でも素人が何百枚撮ったところで、プロのベストショット一枚には負けるということが子どもたちの集合写真を見てわかったんですよ。

貧乏でも家族写真だけは写真館でと決めていたお父さんに感謝!

我が家は両親と自分を含めて三人の子どもの5人家族でした。自分が幼稚園の頃はそれなりの生活ができていたようで、長男の自分が生まれてから毎年、お正月には家族写真を写真館で撮ってました。それから自分が気がついたときには、両親がいつもケンカしているという家庭になっていたのですが、それでも正月には家族写真を撮ります。ある年の年末、家族写真は贅沢だからやめるやめないで夫婦喧嘩をしていましたね。

結局、母親が写真館に行くのを嫌がっていたようなんですが、父親の強い意志でまた家族全員の写真を撮るお正月でした。自分はそのころ中学生になっていたので、もう家族写真はやめる方向で賛成だったのですが、ギスギスしていた家庭より家族写真が撮れる雰囲気の方がましだと思ったので素直に従っていた記憶があります。写真を撮りに行くたびに写真館の人は、僕が生まれ、弟が生まれ、妹が生まれて家族が増えたことをいつもしゃべりながらシャッターを切ります。

振り返ると、その年の母親の顔は厳しい顔でした。いつも笑っている顔の母の顔だったのに、よほど写真館に行くのが嫌だったんでしょうね。その後も生活は楽そうではなかったのですが、家族写真に強い想いのあった父親に負けたんだろうと思います。母の顔はその後はずっと笑顔です。弟が思春期の頃も写真館に行くのを嫌がり、お正月に一緒に行動することがもう嫌だという感じでした。そんな弟を見るのが自分は何か楽しかったんですよね。

それから弟が落ち着いたと思ったら、受験を控えた中学生の妹が嫌がりはじめ、自分は、人間ってこうやって変わったり乗り越えたりしていくんだなあと正月の写真館に行く前のすったもんだを見てきました。それに対応する両親の姿も見てきましたね。そんな自分は、これは父親の自己満足なんだろうと思ってましたし、写真さえ撮っておけばいいんだから我慢しろよという気持でもありました。でも、写真館の帰りに行く食事もわりと楽しくて、それぞれが中学生の時は嫌がってましたけど、高校生になると旨いものがたっぷり食べられるという嬉しさに変わってましたね。

それから自分は大学で家を出て、弟も妹も家を出ることになりました。家族写真は、お正月に撮れない時は家族全員が集まれるときに撮るという流れに変わり、服装もその時来ているもので良いと父が言うようになりました。それでもある年は弟がロン毛で汚い恰好をしていたので、着替えるように言っていると、母親が、「20歳のこの子を残すんだから、汚いままでも良いのよ」といって笑ってました。

一番下の妹が大学を卒業するまで家族で写真館通いは続きました。それがただの我が家の歴史になるだけだと思っていた。というか、そんなことも考えていなかったのですが、自分が彼女の家に結婚のあいさつに行った時、あちらのご両親に大反対されたのですが、家族の姿も見てもらおうと実家に借りた家族写真の一番新しいものを持参した時、彼女のお父さんが、きちんとしたお家に育ったんだねと言われて、あちらの家族の写真も見せてもらえるようになったんです。

表紙を一枚めくると薄紙があり、それを静かにめくると彼女の家族が並んでいるんですよね。あちらのお父さんが転勤のたびに写真館が変わって…。という話を聞かせてもらったりしながら、結婚を認めてくれることになりました。親父の自己満足だと思っていた家族の写真館参りでしたが、結局自分の人生を左右する大きな決定打となったんですよ。写真館での家族写真は、きちんと生きてきた証なのかなと、感慨深く写真館を考えるきっかけになったような気がします。

履歴書に使うために出向いた写真館、数十年後も変わらずそこに

就職試験のために用意した写真がだめになって、あわててバイト先の隣にあった写真館に飛び込んだ私。店主はあわてた様子だったけど、機嫌良く就職するんだね、などと話しかけてくれながら写真を撮ってくれました。店主の隣には奥さんもいて、ニコニコ話を聞いてるだけでしたが、あわただしい気持ちが店主ご夫婦との会話で、ふわっと軽くなった記憶が懐かしいです。出来上がった写真は、話している途中のような今にもしゃべりだしそうな私の写真。

その写真のおかげで就職する事が出来て、私の楽しい社会人生活が始まりました。その写真館では、その後も運転免許やパスポートなどの証明写真が必要になるたびに出向き、「あれから○年だね」と話しかけてくれることがとても嬉しかったんです。最初はニコニコしているだけの奥さんも「娘さんになったわね」や「彼氏はできた?」などと話しかけてくれて、写真館に行くのは、たまに会う親戚の家に行くような気持ちでした。

いつもは忘れてるけど、会うと幸せな気持ちになるのが写真館のご夫婦というイメージでしたね。それから7年勤めた会社を円満退社することになり、転職のための写真をまた撮りに行きました。その時はもう何年振りかというくらい写真館にも行っていなかったのですが、奥さんが私を見るなり「まあ!」と驚かれてましたが、久々だからなと思ったんです。ご夫婦はいつもと変わらず私を温かく迎えて下さりました。

すると支払いの時にご主人が、「実は今日で閉館するんです」と。え?どうして?と驚く私。「私が入院するんですよ」とご主人、確かに顔色がすごく悪い。そこに奥さんがお茶を運んで下さり、実は、あなたが最初に来てくれた時、あれがこの写真館に私たちが来てからのお客様第一号だったんですよ。それで今日も閉館という時にあなたが飛び込んできたからとても驚いて…。と私をいつくしむように見つめる奥さん。

私は何も言えませんでした。いつも優しい親戚のおじさんを失うような気持ちになりました。いつ戻れるかわからないから閉館にして、もともとご夫婦がやっていた写真館は息子さん夫婦に譲っていたということだったので、そちらにお客様をひきついで、退院できたら一からこの写真館でまたお客さまをお待ちするつもりなの。と話す奥さんでした。自分の人生を見守ってくれている人たちと思っていましたけど、写真館の人にも人生はあるんですよね。

それから私も結婚して子どもができて、その写真館は売りに出され、ご主人は戻ってこられませんでした。だけど、結婚した先の写真館を利用するようになってから、また新しく私の家族を見守ってくれる人たちができました。温かいイメージしかない写真館さんとは、どこにいっても一生お付き合いをする家族の見守り人のような存在です。写真館で家族の大切な日を切り取ってもらうことは、なんでもない一日一日もとても大事なんだと教えてもらったような気がします。